
「ミス広島(当初)」は二代目瀧澤光龍斎の作で、広島広子と名付けられました。着物には加賀梅鉢の紋があしらわれています。
この人形の記録はほとんど残っておらず、1927年にサンフランシスコで撮影された報道写真にたびたび登場していますが、そこでは誤って「ミス横浜」として紹介されていました。
当初どこに寄贈されたのかは明らかでなく、その後の消息も長らく不明のままでしたが、1998年にニュージャージー州モリスタウンの骨董市で、マーヴィン&フロー·ヘリング夫妻により購入されました。このとき、高岡美智子氏によって答礼人形の一体であることが確認されましたが、その当時は正確な身元については誤解がありました。
その後、ロサンゼルス自然史博物館に所蔵されていた記録写真との照合によって、この人形が本来の「ミス広島」であることが確定しました。同館には「ミス広島」のお道具類の一部も残されており、さらにメイン州オーガスタにあるメイン州立博物館にも、漆塗りのお道具の一部が現存しています。
2018年、「ミス広島(当初)」はバージニア州ノーフォークのバリー美術館に収蔵されました。