
「ミス千葉」は、製作時の記録では二代目瀧澤光龍斎の作とされています。着物の紋は木瓜です。
もともと「ミス千葉」は、17体の選抜グループの一員としてカリフォルニア州を巡回したのち、列車でアメリカ大陸を横断し、1927年のクリスマスにワシントンD.C.のナショナル·シアターでの歓迎会に参列する予定でした。カリフォルニア州リバーサイドでは、1927年12月初旬にフランク·ミラー氏が所有するホテル、ミッション·インで開催された17体の答礼人形による豪華な展覧会に出品されました。
フランク·ミラー氏は日米関係に強い影響力をもつ支援者だったことから、特例として答礼人形のうちの一体が、彼の孫娘の国際人形コレクションに加えられることになりました。このコレクションは、私設ながらリバーサイドの博物館的役割を果たしていたミッション·インに収蔵されていました。彼が選んだのは、「ミス千葉」と、六大都市の代表人形および「ミス大日本」のために製作された七体の特別な随行人形のうちの一体でした。その随行人形には「ミスふさ」という名前が与えられました。
この二体の人形、「ミス千葉」と「ミスふさ」は、ミッション·インの「世界の人形と動物コレクション」として展示されていましたが、第二次世界大戦の勃発とともにその記録は途絶えます。
1957年にミッション·インは売却され、その美術コレクションの大部分が競売にかけられますが、この二体の人形に関する記録は残されていませんでした。
残念ながら、「ミス千葉」と「ミスふさ」はいまだに所在が判明していません。